世界的フットバッグプレイヤー、石田太志さんが“HHKB沼”にハマッた理由とは
世界的フットバッグプレイヤー、
石田太志さんが
“HHKB沼”にハマッた理由とは
直径5センチ程度のお手玉状のバッグ(ボール)を足で蹴ってさまざまな技を競うスポーツ「フットバッグ」の世界的プレイヤー、石田太志さんはHHKBのコアなユーザーでもあります。自ら「目覚めてしまった」と表現するレベルのハマりっぷりと、その理由を聞きましょう。
「尊師スタイル」に衝撃を受けて
キーボードに目覚める
石田太志さんは日本でただ一人のプロ・フットバッグプレイヤー。2014年と2018年にはワールドチャンピオンに輝いた、世界トップレベルの選手です。大会出場やイベントでのパフォーマンス、メディア出演と多方面で活躍中の石田さんは、執筆、スクール、ブログでの情報発信などパソコンが欠かせない仕事も多く抱えており、現在はMacBookと英語配列の「HHKB Professional HYBRID」を組み合わせて使いこなす日々を送っています。石田さんがHHKBを選んだ経緯から聞かせてもらいましょう。
フットバッグのワールドチャンピオンに2度輝いた石田さん。そのプレイはすごいの一言。
「2016年か2017年のあるとき、鳥羽恒彰さんのブログ『トバログ』で、ノートパソコンの上にHHKBを載せる『尊師スタイル』というものを初めて見たんです。別の方がやっているのを鳥羽さんが見て衝撃を受けたという記事内容で、それを読んだ僕自身も衝撃を受けました」
さっそく石田さんも「尊師スタイル」を試すことに。ただ、当時このスタイルにうってつけだった無線接続モデル「HHKB Professional BT」を、いきなり購入するまでの思いきりはつきませんでした。
「HHKBを使うのも初めてでしたので、まず安全策をとって『Lite2 for Mac』を手に入れました。当時はメンブレン方式や静電容量無接点方式といった知識はまったくありませんでしたが、『Lite2』でも十分に打ち心地がよいなと感じました。それと、マニアの人に多いからというミーハーな理由で選んだ英語配列がとてもよかったんですね。『Return』に小指が届きやすいなど、キーが少なくて決まったところにアプローチしやすいことに気持ちよさを感じました。刻印がシンプルなのでデザインも気に入りました」
それまで石田さんは、キーボードに対して特段高い意識を持っていたわけではないといいます。大学の学部が情報学部だったことからパソコンには長く親しんできましたが、特に疑問も持たずノートパソコンに装備されている日本語配列キーボードを「パチパチ打って」いたそうです。それが180度、変わりました。「Lite2 for Mac」を手にして以降の石田さんはすごい勢いでHHKBを深く掘り下げていくことになります。
「目覚めてしまって、どんどんのめり込みました。これまでに『Professional2』以降の『HHKB Professional』は全機種を使ったと思います」
わずか数年で全機種とは尋常ではありません。石田さんに何が起こったのでしょうか。
ノートパソコンのキーボードをキャンセルしてHHKBを載せて使う、衝撃の「尊師スタイル」。著名なプログラマー、尊師ことリチャード・ストールマンが初めて行ったことからこう呼ばれる。
文字通りの「全機種」を試した!
大いなる「迷い」の遍歴
「Lite2 for Mac」を入手して「尊師スタイル」を実現した石田さんは、結局「Professional BT」を購入することになります。
「『Lite2』のときに自分専用のキーボードを単体で持っていることが新鮮で、所有感という点でもいいなあと思いました。すると、よりよいものを使いたくなってきたんですよね。『この上があるんだ』ということを感じてしまったので」
「メンブレン方式と静電容量無接点方式は何から何まで違うと聞いて、試したい欲求にもかられました。そして当初キーボードは5000円でも高いと思っていたのに、いつの間にか2万円でも3万円でも別に……と思うようになりました」
実際に「Professional BT」を手に入れてみると、その打ち心地は圧倒的に気持ちのよいものだったそうです。ユーザーと製品の幸せな出会いといえるでしょう。
HHKBについて話す石田さんは本当に楽しそう。
「ただ僕の場合、そこから先がちょっと病的でして(笑)。『Professional BT』は英語配列と日本語配列、両方試しているんですよ。実は英語配列と日本語配列のどちらにするかというのは、つい最近まで迷っていました。ようやく英語配列で安定しましたが」
それはつまり、常に複数台のHHKBを所有してきたということでしょうか。
「いえ、英語配列を手放して日本語配列を手に入れるというように、ある時点で持っているHHKBは基本的に1台です。その都度売って、違うものを手に入れるという方式です」
「その売り買いを、すぐには数えられないくらい繰り返しました。『Professional BT』のあとは『Professional Type-S』も使っていますし、やはり英語配列と日本語配列を試しています。あとは色と、英語配列の刻印ですよね。それも全部やりました。白の無刻印、白の刻印あり、墨の無刻印、墨の刻印あり。全部試してますし、それを何周かしています」
なんと、石田さんは『Professional2』以降のHHKBを、有線接続か無線接続か、「Type-S」のキーかノーマルのキーかという機構上の違いだけではなく、色別・配列別・刻印別という文字通りの「全機種」を1台ずつ、入れ替えながら使ってきたというのです。それはまた、なぜ?
「自分の中でキーボードは1台あればよいものなので、どれか1台でいいんですよ。まあ全部持っていればいいんでしょうけど、一回で使えるお金の問題もありますし、『たくさん持っていてももったいない』という思いもあります。なにより『ベストを見つけたい』ということが基本にあるんですよね」
石田さんにとって現在ベストに最も近いのは英語配列(刻印あり)・墨の「Professional HYBRID」。タッチタイピングで軽やかに入力する。
なるほど。ICT機器に限らず、高度に洗練された物品にバリエーションがあると、自分にベストな一品だけが欲しくなるものです。賢く選択するよう挑まれているのに、それに応えられないと悔しい……と感じられるのかもしれません。また複数を所有すると、優れた物品であればあるほど、使わずに寝かしている時間が「もったいない」という思いも生じます。石田さんのただならぬHHKB遍歴、“わかる”気がします。
「少しでもわかっていただけるとうれしいです。色にしても配列にしても、それぞれトレードオフがあるんですよね。たとえば『白の無刻印』は見た目がベストだと思うんですけど、あるとき『白の刻印あり』を見ると、僕の場合タッチタイピングでもキーをまったく見ないわけではないので、その見やすさに驚いて刻印ありが欲しくなったりとか」
「でも白の刻印ありだと、だんだん『ちょっと野暮ったいんじゃないか』と感じてきて、次は『墨の無刻印』にしてみたりするわけです。ところが墨だと、白に比べて無刻印であることが一目ではわかりにくいじゃないですか。だったら『墨の刻印あり』でいいじゃないかと」
石田さんが現在愛用している「Professional HYBRID」がまさに墨の刻印ありですが、そこにたどり着くまで「Professional2」「Professional BT」「Professional Type-S」で試行錯誤を重ねてきたとか。その過程で「前に手放したあれがベストだったのかもしれない」という思いを抱いたこともあるのでしょうか。
「いや、まさにその繰り返しですよ。でも満遍なく持っているより、一台ガツッとしたのが欲しいので、仕方がないですね」
石田さんが現在愛用する二つのアイテム、「Professional HYBRID」とフットバッグのバッグ(ボール)。バッグの中には小さな鉄の玉がたくさん入っており、重いお手玉のよう。
石田さんの大いなる“迷い”の遍歴は、『Professional HYBRID Type-S』を頂点とする現在のラインアップになってからも続いているといいます。
「有線接続のみの『Professional Classic』を除いて、『Professional HYBRID Type-S』と『Professional HYBRID』では色と刻印を一通り試しています。幸い配列だけは現行ラインアップになる前に英語配列で落ち着いたので、迷ったのは『Type-S』にするかどうかということと、『白の無刻印』か『墨の刻印あり』かという点ですね」
「現在のところ、キーは『Type-S』ではないノーマルにしています。色と刻印については、先ほどお話しした理由で『墨の刻印あり』にしていますが、実はもう1台、『白の無刻印』も欲しいんです。ここまで来たらさすがに2台持っていてもいいかなと思います(笑)」
もし「白の無刻印」を買うなら、そちらは「Professional HYBRID Type-S」にすることも考えているとか。なるほど、それは合理的な選択です。
フットバッグもHHKBも
探求して突き詰めたい
ところで、石田さんのHHKBマニアぶりにはまだ奥があります。HHKBに改造を施しているのです。メーカーとしては推奨できることではありませんが、石田さんのHHKBライフをつぶさに知るため、その内容を少しだけ聞いてみましょう。
「話は最初の『Lite2』に戻りますが、分解して、ラバーカップにポンチで穴をあけました。穴をあけるとタイピングが軽くなる、しかも穴の数で軽さが変わるという情報を得たので。ごく小さい穴ですが、最終的にはすべてのラバーカップに4つずつあけました。結局、それは軽すぎてだめでしたけど(笑)」
「実は『Professional BT』以降も、今の『Professional HYBRID』に至るまで、全部分解しています、はい……。おそらく総計で150回とか200回くらい、中を開けてますね。けっこうな手間ですが、やっちゃうんですよ」
インタビューが進むにつれ、話はどんどんマニアックに……。
そこまでして石田さんが追い求めているものとは?
「タイピング感です。いろいろ変えて試したいんですよ。全部サードパーティー製の非純正品ですが、押下圧を極端に軽くしたり重くしたりするラバーカップとか、静音化リングとかを使って改造します。サードパーティー製の部品はほとんど全部試しています。試したいと思ったら深夜であろうが、おかまいなしにやってしまうんです」
「『Professional BT』と『Professional HYBRID』のラバーカップを入れ替えることも試しました。HHKBの押下圧は45gですが、僕なりに研究した結果、『BT』と『HYBRID』ではラバーの軟らかさが違うんですよね。正解かどうかはわかりませんが」
ほんの少しの違いを鋭敏に感じ取ってしまうがゆえに駆り立てられる……。昨今はマニアがハマる深みを“沼”と表現しますが、これはまさに“HHKB沼”といえそうです。
一瞬ごとに身体の全神経をフルに働かせるフットバッグ。キーボードに対する感覚が鋭敏なのも当然かもしれない。
「実際、現行の『HYBRID』になってから、同じ押下圧45gでも圧倒的に軽くなったように感じます。『Type-S』にしても、以前の『Professional Type-S』と『Professional HYBRID Type-S』では全然違うんですよね。前のモデルのほうがカサカサという音が強かったような。ただ、僕の場合は両方ともノーマルのキーより軽く感じるんですけど、逆に『Type-S』を重いと感じる人もいるとネットで知って、意外でした」
「軽さと重さは個人の感じ方があるので難しいところですが、僕としては重いほう、タクタイル感(押し始めの抵抗感)のあるほうが好みです。だから今は『Type-S』ではない『Professional HYBRID』を使っていますが、それでも個人的にはちょっと軽いくらい。押下圧でいうと55g程度がちょうどよいのではないかと思っています。ちなみに、今の『Professional HYBRID』には静音化リングを入れてるんですよ」
つまり、「Professional HYBRID Type-S」ではないけれど、自分で改造した“Type-Sバージョン”のようにしているということ?
「はい。タッチは基本的にノーマルの『Professional HYBRID』が好きですが、少し音がするので。でもリングを入れると、なぜか押した感じも軽くなるんですよね……」
石田さんのHHKB遍歴はまだ旅の途中。よりよいものを求める思いはやむことがない。
微細なレベルのトレードオフに悩む石田さんはHHKBの探求者といえます。それは本職のフットバッグでも同じ。フットバッグには約2000種類の技があり、世界レベルのプレイヤーである石田さんはそのうちの約1000種類を身につけています。
「だけど、あと1000種類が残っているわけですよ。フットバッグを17年やってきたけど、まだ1000種類もある。僕は、それをどんどんできるようにしていきたいんです。何事も突き詰めたいというのは、やっぱり性格なんでしょう。キーボードも、よりよいものがあるような気がいつもしているので、全部試して、探って、『これだ』というものを見つけたいのかもしれません」
1000種類の技を身につけている石田さん。「あと1000種類」をマスターすべくトレーニングを続ける。
押下圧を選べるようになると
個人的にはうれしい
石田さんは現在、MacBookとHHKBを持ち歩いて、いつでもどこでも仕事ができるようにしています。基本的に「尊師スタイル」で、接続は無線です。
「有線接続か無線接続かという問題も、例によって何度も悩みました(笑)。Macの場合、有線接続ならキーにタッチするだけでスリープを解除できるので煩わしさが一つ減りますが、やはりケーブルが邪魔になるので、今は無線でやっています。『Professional HYBRID』は接続もペアリングの切り換えもすごくスムーズになったので助かっています」
石田さんの「尊師スタイル」。
左写真:MOFTのノートパソコンスタンドを使用して角度をつけるためHHKBオプションの「ウッドパームレスト」が必須。トラックパッドが隠れるのでMagic Trackpad(右奥)も持ち歩く。
右写真:こちらのパームレストはHHKBのオプション製品を多数製作しているメーカー「バード電子」による試作品で、バード電子の依頼により石田さんが試用しているもの。左右に分かれるため既存のトラックパッドを使える。
HHKBはオプションをフル活用し、「トランスポーター」の中に「HHKBキーボードルーフ」をセットした「Professional HYBRID」と、「パームレストウッド」「キーボードブリッジ」を入れています。いろいろ迷いながらたどり着いた、現時点での「正解」が詰まったセットといえます。では今後、よりよいHHKBライフのために石田さんがHHKBに望むことは何でしょうか。
「『Realforce』のように押下圧にバリエーションがあって選べるとよいな、とは思いますね。それに、もしキートップをいろいろな色に変えて遊べたら楽しいかもしれません。キートップの材質によってタイピング感が変わるということもあるらしいので、材質を変えるのもおもしろいと思います」
「それと、技術的に可能かどうかわかりませんが、 たとえばAppleのMagic Keyboardみたいに、bluetoothの電源を入れっぱなしにしておいて、何かキーを押すだけで立ち上がるようになるといいなと思います。その場合、持ち運びの際にキーが押されても影響がないようにできるとありがたいですね」
「もう一つは乾電池を入れる部分の出っ張りがなくなるとデザイン的によりスタイリッシュになるのかなと思います。もちろん乾電池で動くということ自体はすごくよいと思っています」
探求者・石田さんのご意見、参考にしたいと思います。
石田さんのHHKB持ち歩きセット。右写真はパームレストを試用中のものにした状態。
先頃、石田さんは新潟県の三条市と提携してフットバッグを地域の子どもたちに広める活動のため、地元の横浜から三条に移住しました。仕事での移動がいっそう増えた今、持ち運べるHHKBの重要性は高まっているといえます。フットバッグにおいても、キーボードにおいても、石田さんの探求はきっと大きな実りをもたらすことでしょう。HHKBは石田さんの活動をこれからも応援していきます。
[プロフィール]
石田 太志
プロフットバックプレイヤー
- ブログ:T-Log
- Facebook:石田 太志
- Facebookページ:石田太志 - Taishi Ishida
- X:@taishiishida
- Instagram:taishiishida
執筆者
石川光則(柏木光大郎)
編集者、株式会社ヒトリシャ代表。高畑正幸著『究極の文房具カタログ』やブング・ジャム著『筆箱採集帳』の編集、ANA機内誌『翼の王国』の編集執筆など、出版物やwebを中心に活動。
編著に『#どれだけのミスをしたかを競うミス日本コンテスト』(KADOKAWA)がある。