しなやかに自分を生きるマルチアーティスト、竹森みずほさんのHHKBライフとは

しなやかに自分を生きる
マルチアーティスト、
竹森みずほさんのHHKBライフとは

HHKB Life

シンガーソングライター、イラストレーター、モデル、タレント、映像クリエイターと、枠にとらわれないマルチなアーティスト活動を展開している竹森みずほさん。最近は美容家としての顔も加わって大忙しの日々を送る竹森さんは、HHKBを仕事とプライベートで軽やかに使いこなしています。ユーザーとしてのHHKB評と、マルチアーティストという生き方を選んだ理由と経緯についてお話しいただきました。

キーを打つだけで楽しいから
いつもより長く書きたくなる

シンガーソングライターとしてデビューし、聴く者の心に染み渡るような歌声で多くのファンを獲得するとともに、徐々に活動の場を広げて現在はマルチアーティストとして活躍中の竹森みずほさんは、後述する不思議な縁でHHKBとScanSnapというPFUの二大アイテムのユーザーとなりました。ここでは主にHHKBについて、現在の使い方を聞きましょう。

「今はHHKBで文章を書くことが多いですね。最近、お肌を根本的に改善する体内ケアについてのカウンセリングのお仕事を多くいただくようになって、人前でお話をする機会も増えています。その内容をあらかじめ原稿にまとめる必要があるので、いつもHHKBで書いています」

「MacBookのキーボードを打つこともありますが、HHKBは打っていて疲れないので、『これは長時間の作業になるな』とわかっているときは必ず無線でつないで使っています。私の公式webページを作るときにもたくさん使いました」

竹森みずほ


MacBookのほかにiPadとペアリングして使うことも多く、出張のときはHHKBとiPadを持ち運ぶそうです。HHKBのモデルは現行シリーズの最高峰「Professional HYBRID Type-S」。英語配列でカラーは墨です。もともとMacBookでは日本語配列を使っていたそうですが、英語配列の乗り換えにさほど苦労はなかったとか。

「iPadを使うなら英語配列がよいのではとPFUの方にアドバイスをいただきました。キーの並び方はそれまでと変わりましたが、すぐに慣れちゃいました。それに、打ち心地がいいから配列の違いも全然気になりませんでした」

竹森さんがHHKBを手にして最も感動したのは、その打ち心地だったといいます。

「打つこと自体が楽しいというか、キーを押すだけで気持ちがいいんですよね。しっかりタイピングしているという感覚もあるけど滑らかだし、すごく楽しいです」

現在は「家にHHKBがポンと置いてある」状態にしており、使いたいときに使うというスタイルをとっているそうです。

「同居している母もパソコンを使うので、HHKBを二人でシェアしています。母も『これ、指が疲れないね。いい感じよねぇ』と言いながらよく使っていますね」

「世の中にはHHKBのように独立したキーボードがあって、皆さんそれぞれの好みに合わせて使っていることは知っていましたが、私はそれまで特に気にすることがありませんでした。でも実際に手にしてみると、ほかのキーボードとは全然違っていて、『あ、これは確かにこだわるよな』って納得しましたね」

では、ミュージシャンとしての竹森さんに聞いてみましょう。「HHKBの打ち心地を楽器にたとえたら?」

「(しばらく考えて)打楽器! アフリカの『ジャンベ』とか。それっぽくないですか? あの跳ね返ってくる感じや音が、ちょっと太鼓と似てますよね。私はピアノも小さい頃から弾いていますけど、ピアノのキーよりHHKBのキーほうが心地よいと思います(笑)」

みずぽんチャンネル

HHKBのタイピング感が心地よいあまりに、「無駄に打ってしまう」こともあるとか。そのことが文章の内容に影響することもあるのでしょうか。

「書くのがはかどると思いますよ、間違いなく。無駄に打っちゃうくらいですから、いつもなら省略している言葉を使ってみるとか、わざわざちょっと長く書くみたいなこともしちゃうと思います(笑)」

では今後、文章表現でのアーティスト活動も考えられる?

「はい、考えています。実は私、もともとの夢が自分の小説を書きたいということなんです。最終的には映画を撮りたいんですけど、小説も書きたくて」

「文章を書くことは小さい頃から好きでした。小学校1年生のときにはパソコンが家にあったので、学校から帰ってくると自分の物語を書いていました。一人の女の子が森に行って、言葉を話せるいろいろな動物たちと出会う中でどんどん成長していく、という物語です。もう、暇さえあればという感じでしたね」

子宮がん・出産・離婚。
人生の難局を乗り越えて

幼少時から表現に興味を持っていた竹森さんは、家にあったピアノで小さな頃から作詞作曲のようなこともしていたとか。高校のときには所属するバンドのために自作した曲がラジオで取り上げられ、「私は曲が作れるんだ」と再認識。そして2017年には21歳でシンガーソングライターとしてのライブ活動をスタートすることになります。

その一方で、表現の方法を音楽に限るつもりは当初からなかったと竹森さんは言います。HHKBの話から少し離れて、アーティストとしての竹森さんのルーツにあるものを聞きましょう。

「そもそもなぜ表現する仕事をしていきたいと思ったかというと、『人に癒しを与えたい』という想いがずっと根っこにあるからなんですね。私の職歴はちょっと変わっていて、最初に箱根の旅館で仲居を経験して、そのあと19歳のときからバーの店長を3年ほどやらせてもらいました。その二つに共通しているのが『おもてなし』で、まさに人に癒しを与える仕事なんです」

旅館に就職したのは日本の伝統的な仕事を経験したかったから。とても厳しい仕事でしたが楽しかったといいます。バーの店長は思いがけない成り行きから就いたものですが、未成年の頃はお酒が飲めないため、軽く見られないようお酒の知識を徹底して身につけ、お客さんとトークを繰り広げていたそうです。

「その次にやってみたかったのが、音楽で人に癒しを与えることでした。思いきって挑戦してみた結果、皆さんに私を知っていただくことができました。でも、だからといって音楽がすべてだとは思っていないんです。私の力で人に癒しを与えられるのなら、音楽に限らずいろいろやっていきたい。もちろんアーティスト、表現者でありたいということは芯にありますが、美容などのお仕事なども積極的に手がけていきたいと思っています」

イラストレーター・竹森さんの作品の一例。公式webページで複数の作品を閲覧可能。

竹森さんの強く明確な想いをいっそう強固にする出来事が、ごく最近ありました。公式webページにも記されているように、子宮がん罹患、妊娠と出産、離婚という人生の大イベントが短期間に集中したのです。その経緯を改めて聞きましょう。

「私はお医者さんから妊娠しにくい体質と言われていて、ずっと定期検診を受けていたのですが、あるとき病院から『検査結果を聞きに来てください』という手紙が頻繁に届くようになりました。今思えば『子宮がんかもしれないから詳しい検査を受けなさい』ということだったのですが、当時はアーティスト活動が軌道に乗り始めた頃で本当に忙しくて、しばらくの間それを無視してしまったんですね。それで、ようやく時間が空いたときに病院に行ってみたところ、妊娠しているとわかったんです」

残念なことに子宮がんかもしれないという病院の予測も当たっていました。つまり、がん罹患と妊娠が同時に判明したのです。これによって竹森さんは、21歳にして『治療を取るか、出産を取るか』の選択を迫られることになります。

「治療するなら子どもを諦めないといけないし、出産するなら治療は待たなければなりません。がんの検査が再開できるのは出産後なので。でも、ここで子どもを諦めたら二度と授かることはないかもしれないと思って、私は出産を選びました。子どもはすごく欲しかったので」

「ですから、自分の子宮がんがどのくらい進行しているのか、わからない状態で日々を過ごして、出産して……」

幸いにして出産後(男の子でした)、子宮がんは快方に向かい、現在は「寛解ではないけれど、かなりよくなっている」状態です。しかし当時の竹森さんにしてみれば人生の難局以外の何物でもありません。それでも竹森さんは、持ち前のアーティスト精神を発揮して乗り切ったといいます。

「私、いつもかっこいい自分でいたいナルシストなので(笑)、がんになったことで衝撃は受けましたけれど、『どうせ死ぬんだったらかっこよく死にたい』と思って。たとえば『生まれてくる子どもにミュージックビデオを遺したらかっこよくない?』とか、そんなことを考えてましたね(笑)」

さすがというほかはありませんが、おめでたい出産後にも難局は続きました。当時結婚していたパートナーに浪費癖などのよからぬ傾向があったのです。

「私がアーティスト活動で蓄えたお金も出産前から使ってしまって、一時は『お金どこ行っちゃったの!? どうしよう! 病院に行けない! 出産できない!』みたいな(笑)。今でこそ笑い話のネタにしていますが、当時は本当に大変でした」

結局、竹森さんは時を置かずにパートナーと離婚し、現在は息子と母親と3人で充実した生活を送っています。その暮らしの中にHHKBも「ポンと置かれて」いて、竹森さんのアーティスト活動の力になっています。

自分の人生を貫き通して
いつか映画を撮りたい

難局を乗り切ったあとの竹森さんは、アーティストとしての表現力が増したことを実感しているといいます。

「伝わる“度数”みたいなものが本当に上がったなと思います。音楽の場合も、歌っていて私自身が泣きそうになる度合いも、聴いている人たちが泣く度合いも上がっています。そして歌い終わったときに皆さん、曲や声がいいねというレベルではなくて、『なんか、すごい、よかった……』みたいな反応を示してくださるようになりました」

「子宮がんがよくなったのも、考えてみればすごいことですし。あの経験があるから、若くても説得力や伝える力、深みみたいなものがすごく変わってきたと実感しています。私は人に何かを伝えたいと思って生きているから、本当にいい経験をさせてもらったんだなと、すごく思いますね。今がいちばん幸せで、充実しています」

HHKBとScanSnapが竹森さんのアーティスト生活に加わったのも、大きな経験の直後です。もともとPFUと竹森さんの間には不思議な縁がありました。HHKBやScanSnapのプロモーションを統括する責任者が、あるときプライベートでたまたま入った店が、竹森さんがこれから人生での初ライブを行うという場所だったのです。PFUと竹森さんのお付き合いはこのときから始まりました。そして竹森さんが大きな経験のあとで活動を音楽以外のフィールドにも広げるにあたり、HHKBとScanSnapがサポートすることになったのです。

現在、HHKBは前述の通り、竹森さんのよきパートナーとして原稿作成や情報発信を「心地よく」お手伝いしています。またScanSnap(ScanSnap iX1500)はイラストレーターとしての竹森さんの力になっています。手描きしたイラストのラフをスキャンしてデータ化し、iPad上で仕上げるときなどにとても便利に活躍しているそうです。

インタビューの最後に、竹森さんに今後の抱負を聞きました。

「自分が病気になって死ぬかもしれないと考えたとき、それまで好きなことをやっていたつもりでも、結局は人の目を気にして選択していた自分がいたなあ、好きなことをやりきれてなかったなあと気づいて、後悔が残ったんですよ。だから、これからは何にもとらわれずに生きていきたい。自分の人生ですから」

「たとえば私は母親ですが、それだけで100パーセントじゃない。女性という私もいたり、アーティストという私もいたりと、いろんな私がいるわけですよね。その全部を大切にしていきたいと思っています。音楽もイラストも芸能活動も、やっぱり自分の好きなことをしていきたい。もちろん、映画という最終的なゴールのために経験すべきことはたくさんありますけど、目先の『売れる・売れない』だけで動くことのないようにしたいと思っています」

いつか、幼い頃に書いた物語の続きであっても、新しいストーリーであっても、竹森さんが映画の糧になるような小説をHHKBで書き上げることを期待したいと思います。HHKBとScanSnapはこれからも竹森さんの活動を応援していきます。

[プロフィール]

竹森みずほ


モデル・役者、イラストレーター、シンガーソングライターなど、多彩な顔を持つマルチアーティスト。高校卒業後、箱根の旅館に仲居として就職。 その後、アルバイトしていた地元・神奈川県平塚市のバーでマスターが行方をくらますという出来事があり、19歳で急きょ店長に。1年で売り上げを3倍にする。 やがてシンガーソングライターとイラストレーターを皮切りにアーティスト生活に入るも妊娠と子宮がんが発覚。 出産の道を選んで一児の母親となる。現在、子宮がんの経過は良好。出産半年後に離婚してシングルマザーとなり、以降はラジオのパーソナリティーや構成作家、インフルエンサーや美容家としても活動しつつアーティスト活動を展開している。 HHKBとScanSnapのユーザー。

執筆者
石川光則(柏木光大郎)

編集者、株式会社ヒトリシャ代表。高畑正幸著『究極の文房具カタログ』やブング・ジャム著『筆箱採集帳』の編集、ANA機内誌『翼の王国』の編集執筆など、出版物やwebを中心に活動。
編著に『#どれだけのミスをしたかを競うミス日本コンテスト』(KADOKAWA)がある。

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