復活×復興!漆塗キートップから始まる新たな道!
~HHKB能登半島地震復興応援「Re:japanプロジェクト」にかける想い~
夏の足音が聞こえる強い日差しの6月某日。
まだ震災の傷跡が生々しく残る輪島へ行ってきました。
能登半島地震復興応援プロジェクト「Re:japanプロジェクト」でお世話になる「㈱大徹八井漆器工房」(以降、大徹さん)を訪ねるためです。
震災から半年が経った現在、復興支援のスタイルも新たな局面を迎えつつあり、例えば、石川県の酒蔵同士のコラボによる、被災した酒蔵の自律的経済活動を促すような、企画商品の販売型のクラウドファンディングなどが活性化しつつあります。
「Re:japanプロジェクト」も、また、このような状況の中で進められています。
今回は、「Re:japanプロジェクト」の進行状況や背景をお伝えするとともに、地震から半年たった現在の輪島の状況についてもご報告します。
厳しい状況でも前に進もうとする大徹さんはじめ輪島の方々を、ぜひ応援していただけると嬉しいです。
輪島塗「㈱大徹八井漆器工房」さんと「Re:japanプロジェクト」(ご紹介)
被災した大徹八井漆器工房を応援したい!
「大徹八井漆器工房」(だいてつやついしっきこうぼう)は、半世紀続く輪島塗の工房。
輪島の朝市通りにお店が、朝市から少し離れた場所に工房があります。
異業種とも積極的にコラボされていて、実は、HHKBも過去にコラボをしています。その作品がこちら。
日本の伝統工芸とITの融合を図った「HHKB Professional HG JAPAN」は、その質感と存在感、そして50万円(税別)という価格もあり、全国ネットの報道番組でも大きな話題となりました。
その大徹八井漆器工房ですが、今年1月1日に発生した能登半島地震で壊滅的な被害を受けました。
工房は全壊。朝市通りにあるお店は、液状化がひどく使える状況にはありません。
現在は、倒壊した工房の駐車場にプレハブを設置し、仮設工房で作業をされています。
こうした状況から、HHKBは長年のパートナーである大徹八井漆器工房を応援したいと考え、makuakeにて「Re:japanプロジェクト」を立ち上げました。
プロジェクトでは、HHKBと輪島塗(*1)が再コラボ。プロジェクトに賛同してくださった方にはリターン品(*2)として「漆塗」を施したキートップをお届けし、集まった応援金は大徹八井漆器工房の復興に活用いただきます。
- 本来、輪島塗の素地には「木」を用いるものですが、今回は特別に大徹八井漆器工房のご協力を得て、PBT樹脂のキートップに「輪島塗の技法」を用いた「漆塗」を施しております。
輪島塗の詳細(輪島漆器商工業協同組合):https://wajimanuri.or.jp/ - 想定を上回る皆様からの熱いご支援のおかげで、初回申し込み受付が早期終了しました。多くのお客様から「応援したい」とお問い合わせをいただき、2024年7月8日(月)より追加販売を開始しておりますので、ぜひこの機会に応援購入をご検討ください。
前回のHHKBは、先代である八井汎親(やついひろちか)さん主導のもと制作されましたが、今回のプロジェクトでは、息子である2代目八井貴啓(たかひろ)社長の指揮のもと、今、まさに制作がすすめられています。
「前回のHHKB、反響がすごかったですよ。外国の方にも大人気で、羽田空港の中でも“現代の万年筆”という感じで飾られて、僕たちも鼻が高かったです。(笑)」
とおっしゃる大徹さん。今回のHHKBも完成がとても楽しみですね。
大徹さんの一番のこだわりは「漆」
そんな大徹さんのこだわりはなんといっても漆。
東北で採れる漆を『天日黒目』(てんぴぐろめ)という伝統の方法で精製しており、その精製した漆で輪島塗を作っているのです。
輪島で唯一ということは、他の工房では天日黒目はしていないのでしょうか?
「そうですね。できないことはないのですが、その年に使う1年分の漆をまとめて作るので失敗したらダメージが大きいからですかね。やってないですね。
失敗することも普通にありますからね。(笑)
以前は気温30度ぐらいの日に1日かけて精製していましたが、去年は40分でできちゃいました。」
漆を精製するときは温度も大事なのだそうで、気温30℃ぐらいが一番いいとのこと。暑すぎてもうまくいかないので、近頃の猛暑に大変苦労されているようです。
先代の汎親さんにも、漆や輪島塗についての興味深いお話を色々うかがうことができました。
「漆は5000年前からずっと日本で栽培され、いろいろな用途に使われてきました。青森の三内丸山遺跡にもその痕跡がちゃんと残っています。
漆は、耐久性が高いだけでなく、溶剤やシンナーなどを一切使わないので環境にもとてもいいんですよ。」
「輪島塗のお櫃(ひつ)やお椀は、熱いごはんを入れても底に雫がたまったりしないので最後までおいしく食べられます。鰻の名店が輪島塗のお椀やお重を使っているのもそれが理由です。みなさんに一度経験してもらいたいくらい、輪島塗のお椀で食べるご飯って本当においしいんですよ。
そうやってお椀でご飯を食べる人が増えてくれたら、輪島塗ももっと長生きできるかもしれないね(笑)。」
漆や輪島塗は本当に素晴らしいものだから、もっと皆さんの身近なものになって、たくさんの人に使われてほしいという強い想いが伝わってきました。
ぜひ、いろいろな方に一度、輪島塗の漆器を使ってみてほしいです!
大徹さんの素敵な作品たち。そして「Re:japanプロジェクト」へかける想い。
大徹さんの手がけた素敵な作品たち
工房に置いてあるいくつかの作品についてもお話を聞かせていただきました。
何気なく置かれていたものですが、1つ1つの作品に見どころがあります。
例えば、学校給食用のお椀(左2つ)は、足のない珍しい形のお椀になっています。洋食になれた子供でも食べやすいよう工夫されています。
月や雲を表現した寿司桶(右)も非常に凝っていて美しい。
能登にたくさん植林されている“あすなろ”の木を薄く剥ぎ、それを編んだものに漆を塗って耐久性を高めたお盆(下)は、能登の地域性や漆の特性がうまく生かされています。
前回制作されたHHKBもありました。
地震で崩れた工房の中に埋もれていましたが、無事見つけ出されたそうです。
現在、工房で制作中のHHKBは、いったいどんな感じなのでしょうか?
期待が高まります。
「Re:japanプロジェクト」の制作状況と、プロジェクトへの想いとは?
今回のプロジェクトは、輪島塗工房の大徹さんとの18年ぶりのコラボ。
2006年のコラボでは溜塗(朱色)の輪島塗を施したキートップを制作しましたが、今回は黒漆のキートップもラインナップに加わります。
漆塗りは1つ1つ手作業で、塗りを入れては乾かし、上に塗る漆が定着しやすくなるよう研ぎを入れ、また塗りを重ねるという作業を繰り返します。最後には金粉が篩い落とされ、雪化粧したかのような高級感のある仕上がりになります。
丁寧で緻密な作業を重ねることで、耐久性が高く、美しいキートップが仕上がるのです。
まずは、現在制作中のHHKBのキートップについて、2代目に詳しくお話をうかがってみます。
まず、最初にこのプロジェクトのお話を聞いて、どう思われたのでしょうか?
「いやあ、びっくりしましたね。はい。
最初お話を聞いたときは、“絶対無理やなあ”と思ったんですけど、仮設の工房を用意してもらえたことや、制作に使わせていただける別の工房も見つかったので、それならできるかなと思ってチャレンジすることにしました。」
「今(6月中旬)はちょうど、 “こ中”という塗りの工程ですね。中塗り自体が下塗り的なものなのですが、そのさらに前の下塗りの工程になります。」
今回のプロジェクトで制作するキートップの制作期間は?
また、この作業に関わる方は何人ぐらいいらっしゃるのでしょうか?
「制作期間は1つにつき2ヶ月ぐらいですかね。作業にかかわる人数は5人かな。
各工程でそれぞれ1人という感じです。」
前回は溜色(ためいろ:朱色)が中心でしたが、今回は黒ですね。
制作上の違いや前回と違って苦労した点などはありましたか?
「制作上の違いというのはそんなにないのですが、前回のときは親父が主導して作っていたので指示を受けて作業していただけでした。でも、今回は全部自分から動いていかないといけない。そこが大変ですね。
正直、まだちょっと不安もあるので、休日に1人で金をまく練習をしてみたりもしています。(笑)」
「漆は、基本的には透明なべっ甲みたいな色なんです。飴色というか。
そこにベンガラ(赤粉)を入れて赤くしたり、鉄分を入れて黒くしたり。
今回は黒色の塗りで鉄が入っているので、より強度も上がると思います。
出来上がりも、前回よりもっとシックな感じになると思いますね。」
今回のプロジェクトで、こういうところを見てほしい、とか、伝えたいという思いはありますか?
「やっぱり、輪島塗では異業種コラボもやっているよっていうのを知ってほしいですね。普段、IT分野と輪島塗ってほぼ無縁じゃないですか。
でも、このプロジェクトを通じてコラボすることで、輪島塗という伝統工芸を知っていただくことになれば嬉しい。そういうチャンスかなと思っています。」
異業種コラボの作品を作る機会は何度かあり、抵抗感などはまったく感じないという大徹さん。
「今回、PFUさんとまた新しい取り組みができる。それがとても楽しみです。」
と、先代も嬉しそうにおっしゃってくださいました。
能登半島地震から半年。今、現在の輪島のリアル
震災から半年、今、やっと、ここまできた
大徹さんのお店や工房は、お正月の能登半島地震で甚大な被害を受けました。
木造の工房は全壊。
また、朝市にあるお店も火事や倒壊はまぬがれましたが、液状化がひどく大きく壊れてしまいました。
毎日の生活だけで精一杯。正直、最初は廃業を考えていたといいます。
それでも4月以降、仮設の工房に入居でき、無事だった他の工房も借りて少しずつお仕事ができるようになりました。
でも、半年たった今だからこその、新しい悩みや課題も見えてきているようです。
現在、そしてこれからの輪島塗は?
「地震発生当時の1月や2月は逆に、“地震なんかに負けない!”って言って、みんな目が輝いていて、“必ず避難先から絶対戻ってくるよ!”とか言っていたんですけど。今、何ヶ月か経ってみたら“やっぱもう無理やわ”っていうことも多くて。」
「輪島塗もそうなんです。
以前から職人さんの数は減ってきていましたが、この震災で余計に拍車がかかって、もう多くが辞めてしまうんじゃないかという状況になっている。今回のことで、ちょっと終わりが見えたかなって。
正直に言うとね、今やっていることは、延命治療的なものかもしれません。」
朝市通りの店舗はまだ復旧していません。今は、修理依頼が多いのでしょうか?
「修理の依頼はきていますが割合としては少ないですね。
修理の依頼は、ある程度時間がかかってしまうことを了承いただいた上でやらせていただいています。どちらかというと、新しく制作するほうが多いです。」
「ただ、今の状況だと、王道的な物しか作れなくなるかもしれないなと感じています。
チャレンジングなもの、ちょっと奇抜で面白いものなどは、余裕がない今の状態ではなかなか難しい。
どうしても、売れ筋の茶碗とか箸とか、在庫にならないような商品にスイッチせざるを得ないなと思っています。」
やっと軌道に乗ったと思ったら、また何か1つ問題が出てくる、という感じで、今、なかなか明るい話はできないとおっしゃる大徹さん。
「でもね、なんとかやれるところまでは(やろうと)。」
「幸いなことに職人さんもみんな生きているし、こうやって居候でも仕事がやれるところもあるしね。」
そう、覚悟を感じる力強い言葉で語ってくれました。
一番の目標は震災前の生活に戻すこと!
大徹さんにとって大切な天日黒目に使う大きな桶。震災当初は工房が全壊し、その下敷きになってしまったとか。
「親父があれを助け出せ、助け出せと言ってうるさくて。何が何でも出せって言うから。(笑)
ここを切ったり動かしたりしたら上から何かが落ちるな、っていうような危ない場所に入って大変な思いをしてなんとか救出しました。
あれが地震から今までで、一番大変で困難な作業でした。(笑)」
「非常に苦労しましたが、天日黒目の桶をなんとか出せました。
実は、今、あの桶は作れないんですよ。
だから救出できて本当によかったです。これで今年も漆が作れます。」
我々としても、何かお力になれればいいのですが。
「いえいえ。今回のようなお仕事いただけるだけですごくありがたいです。
今、自分が一番やらないといけないのは、職人さんに仕事をまず与えることですから。それで職人さんも安心できる。」
「クラウドファンディングなどで寄付を募るというやり方もありますけど、僕らの場合は、結局、お金だけあってもという所があります。
もちろんお金はお金であっていいんだけど、職人さんが何もやることがなかったら困る。
とにかく仕事を再開し、地震の前の生活リズムに戻すことを一番の目標にしています。」
「それに、まずは朝市通りのお店を早く復旧させたい。
輪島へ来てくださった方が“応援のために何か購入できるものはありませんか?”と気にかけてくれることもあるのですが、今は店舗がないので販売できずにいます。
今後はぜひ、何か購入していただけるような仕組みを考えたいと思っています。」
厳しい状況の中、未来に向けて歩みだした大徹さん。
朝市通りのお店の復旧も待ち遠しいですね。
取材を終えて
まだ生々しく地震の爪痕が残る輪島。
ほとんどの家や建物が被害を受けており、その被害が甚大なため、多くの場所やモノが地震発生当時のままになっています。道路もガタガタで、瓦礫もそのまま。お水やトイレにも不自由するし、営業している店舗も少ない。港も隆起したため、まだ船が出入りできません。
まだまだ、いろいろなことが不自由な状態です。
そんな中でも皆さん、歯を食いしばって前を向き、日々の生活を取り戻そうと頑張っていらっしゃいます。
私たちにできることは何だろうと考えさせられます。
輪島塗に使う漆は、漆の樹木を傷つけることでとれる樹液から作ります。
その漆を塗料として塗って、乾かす(硬化させる)ことを、何度も何度も繰り返すことで、耐久性の高い漆器になるのだそうです。
「本当に地味な作業を何回も何回も地味に繰り返すだけなんですよ」
と、工房の職人さんはおっしゃっていましたが、その地道で丁寧な仕事の積み重ねが素晴らしい輪島塗になるのですね。
今回制作いただくキートップもその1つ。
今、輪島の地で、毎日の仕事に真摯に頑張るみなさんの手によって、今年もまた新たな輪島塗が作られ、この先もきっと受け継がれていくはずです。
年十年も。何百年も。もしかしたら何千年も?
後の時代まで。
能登の厳しい海風を背に、今回の地震を乗り越え。きっと。
◆
今回は、「Re:japanプロジェクト」の制作状況や、地震から半年たった輪島の様子のご報告でしたが、いかがでしたでしょうか?
もしこのプロジェクトに興味を持ってくださった方がいれば、ぜひサポートいただけると嬉しいです。
また、このプロジェクトでなくても構いません。
みなさんができる形で能登を応援していただければ、きっとそのパワーは能登のみなさんに届くと思います。
能登の一日でも早い復興を、心から願っております。