HHKB 裏HISTORY 第二章 前編
左から、松本さん、田口さん、鎌田さん、横山さん
HHKBにまつわる、あまり表に出ることのなかった開発ストーリーを、当時の関係者による座談会形式で振り返るHHKB裏History。
コンピュータ用高級キーボードの歴史を斬り開いたHHKBの正史は、ヒストリー・ページ(https://happyhackingkb.com/jp/history/)に詳しく書かれていますが、ひとつの製品を企画、発売することの面白さや苦労が表に出ないまま、思い出になってしまうのももったいないよね。ということで第二章の始まりです。
第二章は、高級キーボードとして大々的に世間に向けて発表された『HHKB Professional』と『HHKB Lite2』の発売当時のお話から始まります。
前回は、メンブレン式だったHHKBが、諸事情で東プレ(東プレ株式会社)の静電容量無接点方式のキースイッチへと変更したことから『HHKB Professional』が誕生したというところまでの開発裏話でしたが、今回はその続き。
2002年頃にPFU研究所がなくなって、初代HHKB企画/開発メンバーの飯沼宏さん、八幡勇一さん、白神一久さんが、担当を離れることになりました。
HHKBがPFU事業部門に移った頃(2000年代、『HHKB Professional』(2003年)の発売から、『HHKB Professional Type-S』(2011年)の発売)までの激動の時代、いわゆる第二期HHKBのお話を、前編・中編・後編の3本立てでお送りします。
まず前編は、八幡勇一さんと白神一久さんから、田口さんと鎌田さんに、どのようにバトンが渡されたのかという話から始めましょう。
パソコンを作ることとキーボードを作ることは全く違っていた
東プレの静電容量無接点方式のスイッチを分解したところ。
田口尚登さん(以下、田口)PFU研究所がなくなって事業部に再編されるという話になったときに、じゃあ(HHKBを)どこに持っていこうかという話になったらしくて。その頃、そういうイレギュラーな開発案件は何故か私に来るようになっていたんですよ。鎌田(鎌田俊博)さんはその頃から私の部下で一緒にやっていて。
私たちはパソコンのマザーボードの基板とか、本体とかを開発していた時でした。そこに、『キーボード移管したから、お前らが頑張ってな』っていう話が降ってきて。八幡さんの方からは『ということでよろしく』っていう感じで、私たちが引き受けることになったんです。
それで『HHKB Professional』を商品化するということになった時、商品企画とプロモーション関係を担当したのが、松本(松本秀樹)さんと、その部下の横山(横山道広)さん。加えて、開発担当が私と鎌田さんっていう体制で始まった感じなんです。
松本秀樹さん(以下、松本)田口さんは、ビジネスパソコンのハードウェア・エンジニアとして長らくやっていた方なんです。それでPFUの研究所からキーボードが降ってきたときに田口さんが全部引き受けてくれた。
田口じゃあキーボードどうしようって話になったんだけど、私も鎌田さんも全然キーボードのディテールを知らないわけですよ。パソコン本体の開発をメインでやっていて、キーボードなどの周辺機は富士通高見澤コンポーネント(現・FCLコンポーネント株式会社)にODMで製造してもらって評価はPFUで実施するといったスタイルだったので、キーボードそのもののノウハウは非常に乏しかった。
松本でも、ODMをベースとしたビジネスモデルは大きく変化したわけじゃないから、従来と大差はなかったんじゃない? 仕様書を書いて開発製造させたものを評価プロセスに回すっていうスタイル。
田口その仕様書を書くっていうのが大変だったんですよ。 その頃、パソコンの主流はPC/AT互換機になっていたじゃないですか。私たちもPC/ATベースのパソコンを作っていたりはしたんだけど、周辺機器のディテールは、ほぼ知らないんですよ。昔のワークステーションでは、本体の仕様に合わせたキーボードを作れば良かった。全部、独自アーキテクチャー、独自回路、独自コードだから、キーボードは、Aというキーを押せばAというコードが出れば、それでよかったんですよ。
でもパソコンの場合、Aというキーを押したらAというデータが出ると思ったらとんでもない。Aというキーを押したらAというスキャンコードが出て、それをパソコンが受け取って対応するコードに翻訳してアプリに渡すっていう仕組みなんです。そんな基本的なことも知らなかったから、『あとよろしく』って言われてもわけ分かんないんですよ(笑)。
それでも仕様書を書かなくちゃいけない。だから、もう餅は餅屋で東プレに「AからZまでの全コード表」を要求しました。更に日本語配列になるとスキャンコードも変わるわけです。そういうことをほとんど知らない状況で仕様書を書きながら東プレともいろいろ会話をして一緒に作ったという形です。
松本役割的には開発チームリーダー兼技術責任者が田口さん、その下に鎌田さんというフォーメーションでしたね。
鎌田俊博さん(以下、鎌田)私が仕様書を書いてました。仕様書を書いて評価をして。
松本確か『BT』(『HHKB Professional BT』)からスキャナーの事業部にHHKBの開発を移管したんだよね?
鎌田『Type-S』の仕様書は私が書いたからBTから移管ですね。でも結局は、キーボードを熟知している人が他にいないということで、サポート部門で退社するまでHHKBのおもりをしましたけどね(笑)。
田口上司が替わったり、組織が変わったりしながらも、実質、二人(田口さんと鎌田さん)が、仕様書を書いて、評価してというのをやってたよね。
鎌田『BT』まで全部。それ以降は、スキャナーの事業部の方に対応いただけました。
田口『Type-S』が出たあとくらいかな。HHKBのファンだということで新入社員が入ってきた。それでキーボードの開発をやりたいって言って、「キーボード開発のスタッフは3人しかいない」と言われて、「そんなんでやってるんですか」って(笑)
松本その頃のHHKBの開発チームは森口さんを含め3人でしたよね。森口さんは、現在HHKBなどのウェブサイトも作って、いまだに間接的に強く関わっていますけどね。
横山道広さん(以下、横山)私がキーボードに関わったのは2002年の終わりぐらい、ちょうどこの黎明期終わりのタイミングから商品化やプロモーション及び販売を担当しました。2000年頃に松本さんのところに異動したんです。
しばらく富士通に出向して、Solarisの拡販の経験を積んだ後、HHKBの仕事を任されたと記憶しています。
2003年〜2011年の第2期までの製品の発表とスタッフの流れ
PFU研究所の案件だったHHKBがPFU本体の案件になり、それを引き継いだのが田口さんと鎌田さん、そして、ビジネス面を正式に担当することになった松本さんと、その相棒としての横山さん。
2000年代、高級キーボードとしてのHHKBの礎を作るキーパーソンの4人が出揃ったところで、2003年の『HHKB Professional』の発売のお話へ向かうと思いきや、当時のHHKBチームがどういう状況だったかというネタで盛り上がってしまいます。
逆風もありつつ、HHKBを少しずつ大きな存在にしていくプロモーション戦略
田口『Lite』と『Lite2』を八幡さんたちが担当した後、私たちは日本語モデルの「かな無刻印」っていうのをここで出したんですね。日本語キーボードだけど、かなの刻印をキートップから消したモデル。
横山実は、このあたりの企画・開発には絡んでいまして、『Lite2 for Mac』は私がやっています。『Lite2』は、当初Windowsでしか使えなくて、Mac対応にするためのオプションとして『Macキット』を2003年ころに出したんです。
でも、それは私はやってなくて、Macに正式対応した『Lite2 for
Mac』を2007年に出す時、Mac用のドライバー開発のマネジメントを担当したのが私ですね。
松本それが2007年。『Macキット』から、結構時間がかかっているね。
鎌田『Lite2 for Mac』、どれだけ売れたの?
田口東大が買ってくれたし、結構売れたよね。
鎌田赤門に行って、なんかチェックした記憶がある。
田口赤門、行ったの? 私は駒場しか行ってない。
松本この黎明期から2006年まで、私は事業推進部門という、事業部ではなくいわゆる経営戦略部みたいなところに在籍してました。そこで新規ビジネスとか新規事業で、まだ事業部にきちんとプロットできないようなものをマネジメントする立場でして、その中でたまたまHHKBも始まって面倒を見始めることになったんです。
HHKBが研究所から事業部に移管された後も、事業推進部なる組織に在籍して、商品企画と販売推進の双方の立場でHHKBビジネスを推進してました。
2007年以降はイメージ部門に異動して営業をやりながら、その傍らで何故かHHKBだけは商品企画とプロモーションを個人商店みたいにやってましたね。
その後、販売推進部門も兼務するようになって、スキャナー製品と同様に、HHKBも正々堂々とプロモーションもできるようになったんです。HHKBの企画は企画部門に任せず、実質私が企画していましたからね。完全な越権行為なんだけど、「HHKBは松本が推進する」みたいな雰囲気と既成事実を勝手に作ってしまった。
田口社内に2Cのマーケティング(主に顧客ニーズの分析と、顧客への価値提供)ができる人が少なかったからね。
松本大半の人は2Cのマーケティングに興味なかったし。
田口社内的に勝手に松本さんが裏で糸引いているみたいな。すごく不思議なスタイルでしたよね。
松本逆風とかもありましたけどね。ちょっとパブリックには言えませんけど、簡単に言うと、事業部門の責任者達からは、HHKBは微妙に迫害されていたような部分もあったんです。そんな逆境の中で、あの手この手で商品企画やプロモーション施策を捻出して、田口さんや横山さんに、思いつくままタスクを投げつけていましたからね。
横山その下で振り回されていましたけど、思いつきが凄いなあと思ってました。
松本横山さんと田口さんは、とにかく大変だったと思うよ。だって、「右だ」「左だ」って、ほぼ私が決めちゃうんですよ。で、「これやっといてくれる?」って投げる。
田口それを、修正させるのが大変(笑)。回路設計して構造設計して金型設計が分かるって人間が、社内にあまりいないんですよ。だから鎌田は当時、ずいぶん金型の勉強をしたんだろうね。
鎌田そりゃ、いろいろと(笑)。
田口そういったのもあって、松本さんがやれって言うのを、「いや、それダメだ」、「これだったら出来る」って言いながら、ずっと一緒にやってたんですよ。
松本ハードはね。できることとできないことがはっきりしてるから。
田口出来ないっていうだけじゃ申し訳ないから、こうすると出来るかもしれないって言う解決策を模索して実行に移して。それで苦労はしてましたけど。
松本横山さんが大変だったよね(笑)。グッドデザイン賞のエントリーとか。
横山グッドデザイン賞は、それでもまだいい方で、ロングライフデザイン賞の時の申請が大変でした。どういう「理」にするのか、どう書けば審査員に伝わるのかとか、全然分からなくて。
松本そうだ。グッドデザイン賞は、アシストオンの大杉(アシストオン代表の大杉信雄)さんが、こういうのにエントリーしたらいいよって提案してくれたんだよね。
いよいよ、Macの世界にも本格参入したHHKBは、そのことでまた世界を広げることになりました。その最初のキーパーソンが、アシストオンの大杉信雄さんです。
大杉さんからの紹介で、以降、HHKBの周辺アイテムを作り続けているバード電子の斉藤安則さんと松本さんが運命的な出会いを果たします。
彼らの登場からまた新しい展開が始まる、その最初期のエピソードは、なかなかレアなのではないでしょうか。
『Macキット』の発売から広がったネットワークと、アシストオン、バード電子との出会い
横山話がちょうど出た大杉さんですが、2003年『Macキット』が出たタイミングで「Lite2をアシストオンで売らせてくれ」と連絡があって。でも、こっちはアシストオンを全然知らなくて、「どこの馬の骨だ?」みたいな(笑)。
松本アシストオンも、まだ東郷神社の向かいのビルで小さくやっていた時代だからね、その時に知らないのは仕方ない。
横山で、PFUと取引実績のある代理店も知らないということだったので、直取引を始めて。
松本アシストオンは、その頃、もうHHKB用のパームレストを作って売っていたんだよね。cyproduct(齋藤義幸さんによる革製品などのデザイン工房)に作らせて。
横山そのパームレストをPFUでも売らせてくれと大杉さんに頼んで、HHKBロゴを入れてもらったのを販売したりしてました。アシストオンって本当はそういうのやらないんだけど、キーボード販売とバーターみたいな感じで、渋々ながらもPFUで売らせてくれたんですよ。
松本これがHHKBオプションの第一号かな。既に商品名は「パームレスト」だったと思う。これ、バード電子の「キーボード・ルーフ」とどっちが先だった?
横山バード電子の斉藤さんも大杉さんに紹介してもらったんです。最初は、バード電子のショップサイトでHHKBを売りたいという話から始まって、その後、逆に色々オプションを作ってくれるようになった。
松本最初は、私が南町田(当時のPFU開発センター)に斉藤さんを呼んだときだったと思う。バード電子が色んなキーボードのルーフとかを作っていて、その中にHHKB用もあった。それで会ったんだけど、アシストオンから横山さんに話が来たのも、その頃じゃないかな。その辺の順序は記憶が曖昧だけど、斉藤さんと会った時のことはよく覚えてる。最初は、斉藤さん、ビビってたらしいのね、勝手にHHKBのルーフを作って売ってたから。
田口なんか、呼び出しくらっちゃったみたいな感じだよね。
松本それでまずは横山さんと田口さんに話をしてもらって。
田口PFUとパートナーシップ結んだらいいんじゃないかとか、PFUダイレクトでも販売させて欲しいとかそういう話をしたと思う。
松本事務的な会話が済んだ後、最後に私も参加させて頂いたところ、「若く見えるけど、この人が親分だな」と斉藤さんは分かったらしくて(笑)。「じゃあ、飲み行きましょう」と、当時、国道16号沿いにあった養老乃瀧に斉藤さんと横山さんと3人で行って、アートやプロダクトデザインについて様々な会話をしましたね。それ以来、斉藤さんとは約20年来の付き合いです。
横山大杉さんから連絡があったのも、Macに対応したからという感じでしたね。それで、アシストオンで『Lite2』を売らせて欲しいという。
松本その辺りがきっかけで、大杉さんや斉藤さんと知り合って、アクセサリー・ベンダーが色々集まってきてという時期だよね。考えてみれば、その人脈の核になっているのがアシストオンの大杉さんだった。
あの『Professional HG』を作った時に、どこで売るかって大杉さんに相談した時に、アシストオンと、青山の書斎館を紹介してくれたのも大杉さん。その頃に、納富さん(この原稿を執筆しているライター納富廉邦)を紹介してくれたのも大杉さん。
それで、『Professional
HG』を貸し出して、記事を書いてもらった(筆者注:納富は松本さんと知り合う以前に、日経系の仕事で静電容量無接点方式のキーボードの取材で東プレを横山さんと一緒に訪れていたり、『HHKB Professional』の記事を書いていたことを、本記事作成中に思い出しました)。
さらに、『HHKB Professional HG / HG JAPAN』のパンフだとか、ウェブサイトとか写真とか全部オールインワンでお願いしたのが当時、枻出版を辞めてフリーになったばかりの石川さん(現フリーランス編集者の石川光則さん)で、やっぱり大杉さんの紹介。大杉さんが、今のSNSを司るようなHHKB人脈の核になってたんですよね。
中編に続きます。
\HHKB裏HISTORY 第一章 前編はこちら/
執筆者
納富廉邦
ひたすらHHKBで様々なジャンルの原稿を量産し、この1年半で7冊の本を上梓。
買った本は、その日のうちにScanSnapでデジタル化。既にPDF蔵書は9000冊を超える。本の中身が全文検索できることで、仕事の資料探しがとにかく楽。デジタルからアナログ、ガジェットから調理器具、寝具や衣類、バッグに財布など、あらゆるモノ系と伝統芸能、音楽、アート、映画、本などの評論を中心に取材、執筆しています。あ、ギター弾いています。









