HHKB裏HISTORY 第三章 前編
前回は、ついにHHKBが本格的に事業化され、『HHKB Professional Type-S』(2011年)というひとつの完成形に至るまでの舞台裏をお届けしました。
そして第三章では、そのType-S発売、そしてHHKB発売15周年という節目を迎えた2011年から2019年前半までを振り返ります。テーマはずばり、「どうやってHHKBを広めていったのか」。
この時期、HHKBは単なる製品ではなく、コミュニティやカルチャーと結びつきながら広がっていきます。
メディア、アルファブロガー、SNS、イベント、そして直販強化や海外展開。いま振り返ると当たり前に見えるこれらの動きも、当時はすべて手探りでした。
Bluetoothモデルの開発や、グッドデザイン・ロングライフデザイン賞の受賞など、正史として語られている出来事は公式ヒストリー(https://happyhackingkb.com/jp/history/)に詳しく記されています。
しかし、その裏でどんな試行錯誤があり、誰がどう動いていたのか。そうした“人の動き”はなかなか記録に残りません。第三章では、そんな裏側に光を当てていきます。
今回お話を伺ったのは、HHKBのプロモーションを牽引してきた松本秀樹さん、アイディアを実現に落とし込んできた横山道広さん、開発チームで田口尚登さんらとともに歩んできた森口勝さん、イベントや現場運営を支えてきた山口篤さん、そして海外展開を担った鞠洪麗さん。
後編では「HHKB Professional BT」の開発に深く関わった多河さんにも電話で参加いただきます。
まずは、松本さんが語る、泥臭くも熱量に満ちたプロモーションのはじまりから。
東日本大震災で痛感した、SNSやネットの威力を活用するための地道な方策
松本秀樹(以下、松本):Type-Sを出した直後、2011年3月11日に東日本大震災がありました。ちょうど取材日がその日だったのですが、あの日、X(当時のTwitter)の力を目の当たりにしたんです。
情報がリアルタイムで流れて、人と人がつながっていく。その様子を見て、「これはすごいインフラだな」と強く感じました。その後、LINEなども広がり、SNS全体への注目が一気に高まっていきます。企業もメディア戦略の中にSNSを取り入れ始めた、まさに黎明期でした。
同時に、アルファブロガーや、今でいうインフルエンサー的な存在も影響力を持ち始めていて、先進的な企業はすでにそこを活用し始めていたんです。まだYouTubeなどの動画配信が、プロモーションの主戦場になるかなり前の時代ですね。
山口篤(以下、山口):ちょうどその頃、当時PFU東京本社があった川崎ソリッドスクウェアビルでHHKBのタッチ&トライイベントを開催しました。
私は2008年に入社して、2年後くらいからScanSnapを担当していたんですが、そのときに初めてメディアキャラバンを担当しました。そこで「メディア対応ってこんなにいろいろできるのか」と気づいて、パブリシティをすごく意識するようになりました。そんな中で松本さんに「HHKBもやるぞ」と声をかけられて。「はいはい」と(笑)。当時から、松本さんは「もっとプロモーションをやらないとダメだ」と言い続けていた印象があります。
松本:広告代理店を通すのではなく、メディアやインフルエンサーと直接つながったのが大きかったですね。Appleのユーザーグループミーティング「AUGM」に顔を出したり、アジャイルメディア・ネットワーク(現、CRAVIA株式会社)が主催したブロガーを集めたイベント「WISH2011」に参加したり。当時は、SNSファンマーケティングみたいな動きが少しずつ出てきた頃でした。
森口勝(以下、森口):あのイベントって、参加したきっかけは何でしたっけ?
松本:きっかけは、経済評論家の勝間和代さんでした。勝間さんはHHKBユーザーで、PFUに直接電話がかかってきたんです。「イベントにご一緒しませんか?」って。代表電話にかかってきたのを私が受けて、詳しく話を聞くと、「HHKBを使っている歌手の広瀬香美さんが今回WISH2011に参加するので、ぜひメーカーとして参加してほしい」という話でした。ちょうどTwitterが一気に盛り上がり始めたタイミングで、勝間さんや広瀬さんはフォロワーも多かった。そこから直接お会いして取材させてもらったり、広瀬さんのASCII連載記事でHHKBやScanSnapを取り上げてもらったり、いろんな展開につながっていきました。
15周年キャンペーンと、カラー・キートップやグッズ展開の始まり
横山道広(以下、横山):15周年のキャンペーンとか、Tシャツを作ったりしたのもこの頃(2011年)ですよね。記憶がちょっと曖昧なのですが、レッド・コントロールキーなどのカラー・キートップもこの頃からスタートした気がします。
山口:「ハッピーハッキングバースデー15周年キャンペーン」のタイミングで「特製カラー・キートップ」プレゼントキャンペーンとしてリリースも残っていますね。青のEscキーだったかな?
横山:レッド・コントロールキーはたぶんそれより前ですね。あれがカラー・キートップの最初だったはずです。
松本:「赤いコントロールキーを手に入れろ」というキャンペーンは2009年ですね。
森口:それ30万台突破(2009年)のタイミングですね。この時がHHKB初の色物キーの登場だったはず。
松本:よく覚えてるね。
森口:だってWebページ作ったからね(笑)。
山口:今振り返ると、こういうカラー・キートップやグッズって、広告費をかけずに話題を作るための“技術”だったと思うんです。私自身、ScanSnapを担当していたときに、松本さんからそういう考え方を学びました。「HHKB Professional HG Japan」とかもそうですけど、普通はやらない。でも、それを実現することでちゃんと話題になる。外から見れば「なんだこれ?」って思われるかもしれないけど、仕掛ける方にいると「これで盛り上がるんだ」という不思議な手応えがありましたね。
松本:やっぱり、「無刻印モデル」の成功体験が一番大きかったですね。
あれで、「ちょっとした変化球でも刺さる」という感覚が掴めた。例えばコントロールキーって、HHKBにとっては“ヘソ”みたいな存在なんですよ。あの位置にあること自体が思想の原点のひとつなので。
そこをあえて真っ赤にする。私はガンダム世代じゃないので、赤といえばフェラーリなんですが(笑)、そういう“象徴的な色”を強く打ち出して、「欲しい」と思わせる。欲しいって“飢餓感”を如何に作るかなんですよね。
山口:企画は松本さん、実装は田口さんと横山さん、という感じでしたよね。
横山:覚えてない(笑)。
森口:青がEscで赤がコントロール、そのセットを横山さんが作ったんだよ(笑)。
SNSの活用の影には、昔ながらの泥臭いコミュニケーションがあった
松本:プロダクトの話はひとまず置いておくとして、2011年前後のHHKBにとって大きかったのは、やはりSNSの活用ですね。震災以降、SNSの影響力を強く感じて、「これどう使うか」を本気で考え始めた。同時に、「宣伝広告に頼らずどうパブリシティを取るか」ということにも、かなり意識的に取り組み始めた時期でした。その流れで、川崎や大阪で体験イベントもやりました。
山口:ユーザーと直接触れ合う、というのは当時としてはかなり新しい試みでしたね。それまで、そこまでダイレクトな接点はなかったので。
森口:「パソコン入力コンテスト」みたいなイベントには協賛した実績はあったけど、あれはどちらかというとタイピスト向けで、本来のHHKBユーザーとは少し違う層でしたね。
松本:どんなユーザーと接点を持つべきか考えたとき、Macユーザーの存在が大きかった。
Lite2やMacモデルを出し始めて、明らかに反応が違ったんですよ。感度が高くて、新しいものに対してオープンだった。それでAUGM(Apple User Group Meeting)に参加するようになりました。
そして、HHKBのFacebookページを開設したのもちょうどこの頃ですね。
山口:その頃、僕はまだScanSnap担当でしたが、AUGMやWISHには一緒に出ていましたよね。
横山:どちらかというと、HHKBがScanSnapに乗っかっていった感じでしたね(笑)。
松本:ScanSnapはメイン事業で、広告予算も比較的あった。そこにHHKBが“くっついていく”形で露出を増やしていった。会社的には「広告宣伝費をあまりかけずにパブリシティを取る」という建前なんだけど、実際は両方とも同じようなことをやっていた(笑)。
山口:SNSに対する感覚は、松本さんとかなり近かったと思います。2009年頃、TwitterやFacebookが広がり始めたときに、個人アカウントでいろいろ見ていたんですよ。すると、「ScanSnapいいよね」とか投稿している人がいる。それを見て、「いますよ」「いますよ、松本さん」って(笑)。完全に個人アカウントから始まった動きでした。
松本:私のTwitterアカウント名「hhkb1」ですからね(笑)。公式アカウントができる前から、個人で自発的にHHKBのプロモーションをやっていた。そうしているうちに、勝間さんや広瀬さんとSNSでつながったんですよ。そこからメールしたり直にお会いしたりして、さらに関係が広がっていく。SNSというインフラを使いながら、実際にはリアルな人間関係を作っていった時期ですね。
山口:当時は、HHKB用、ScanSnap用みたいにフォルダを作って、投稿を全部自分で分類していました。
公式アカウントもないのに、自分たちで世の中の声を集めて、分析して。まあ、公私混同と言えばそうなのですが(笑)、あれが実質マーケティングでしたね。
松本:正式にHHKBのTwitterを開設したのが2010年、Facebookの開設が2011年。それ以前の2008年〜2010年は、完全に“SNS下積み時期”でした。当時はまだ、製品単位で公式アカウントを持つ文化が少なくて、当時の親会社もパソコン以外は特に何もやっていなかった。「やりたければ、やれば?」という温度感でしたね。
山口:だから、まだ社内にはSNSの規定やルールもない。なので、全部、自分たちで作りました。
そしたら後になって当時の親会社から、「その規定を見せて欲しい」と言われて、結果的に私たちのガイドラインが当時の親会社の規定の参考になったんですよ。
松本:この頃に痛感したのは、「SNS=デジタルマーケティング」の感覚だけでは全く成立しないということです。リアルイベントに足を運んで、実際にブロガーやメディアの方々と会って、話して、仲良くなる。その関係があるからこそ、SNSが有機的に機能する。やっていることはネット・コミュニケーションの逆で、めちゃくちゃアナログで泥臭い。
山口:「ネットばっかりやってる」と思われがちでしたけど、実際はかなり体張ってましたよね。
松本:メディアやブロガーに記事を書いてもらうために、直接お願いして、何度も会って、飲みに行って関係を作る。それをずっとやってきた。でも、その泥臭さって社内からは見えにくいんですよね。
「お前ら飲んでばっかりだな」って言われる。本当に体張ってるのに(笑)。
販売をPFU Directに集約したことが、イベントやタッチ&トライスポットにつながる
松本:少し時系列を戻すと、2013年頃から通販サイトの強化も並行して進めていました。PFUダイレクトの本店に加え、Amazonや楽天に出店したのがこの頃ですね。そして、当初は流通にも商品を卸していましたが、このタイミングで徐々に取りやめたはずです。
森口:流通に卸すと、小売店が自由に売価を決めちゃうから、なにかと大変でしたよね。更に、流通マージンを乗せると利益があまり出ない。それで、新しい機種から「これは直販専用にさせてください」と流通チャネルにお願いして、切り替えていきました。
松本:Type-Sのときに「PFU Direct限定」と打ち出したのが最初ですね。ある意味、ビジネスモデルの大きな転換期でしたね。
山口:ただ、量販店に置かなくなったことで、新しい課題が出てきたんです。「製品に触れられる場所がない」。特にType-Sは静音モデルなので、触ってもらわないと価値が伝わらない。だから、川崎や大阪でタッチ&トライイベントをやることになりました。当時は、今みたいに常設のタッチ&トライスポットもなかったので。
松本:これはすごく重要な転換点でしたね。2011年にType-Sを出して直販へ舵を切る。その結果、「触れる場」を自分たちで作らなければならなくなった。この流れが、今のビジネスモデルの原型になっています。
山口:まさにビジネスモデルとプロモーションの転換期でしたね。
松本:当時はまだ、量販店の店頭がある意味で“広告”の役割も担っていた時代です。そこをやめた以上、自分たちで認知を取りにいく必要があった。だから、新たな発想で攻めていきました。
山口:今でも覚えているんですが、横山さんや田口さんに「イベントなんてやったことないんですけど、どうやって人集めるんですか?」って聞かれて(笑)。
森口:そもそもイベント用の予算もなかったし、当然経験もなかったんですよ。
山口:私も最初は「HHKB(たかがキーボード)でどうやって集客するんだ?」って思いました。当時はSNSのフォロワー数も今ほどじゃないし、発信力も限られていたので。それで、「ユーザー登録者にDMを送ろう」と。調べたら3,000人くらいいたので、そこに一斉送信しました。
松本:かなり原始的だけど、一番確実な方法だよね。
山口:会場は川崎ソリッドスクウェアビル(当時のPFU東京本社)の会議室で、この部屋の1.5倍くらいの規模でした。動画も用意して、打鍵感の違いを説明するパネルも作って。完全に手作りです。
横山:覚えてない(笑)。
山口:「本当に人来るのか?」って半信半疑でしたよ(笑)。会社の貸し会議室に呼ぶわけですから。
森口:でも、HHKBのTシャツを着て来てくれる人もいた。
松本:この頃、HHKB専任で動いていたのは実質3~4人くらいでした。横山さんが通販を担当して、販売推進も兼任していた。かなり少人数で、ダイレクトとプロモーションを同時に回していましたね。
森口:実務はほぼ横山さんが一人で回してましたね。他のメンバーは受注や発送処理で手一杯だったので。
松本:横山さん、繁忙すぎて、だから当時の記憶が飛んじゃったのかな(笑)。それで、森口さんに「Webをやって」とお願いする流れになりました。
森口:製品スペックと価格情報だけもらって、ページも画像も全部自分で作ってました。写真も全部自分で撮影して、本店、楽天、Amazon、Yahoo!の4プラットフォームを同時に運用。ほぼ丸投げでしたね(笑)。
松本:そんなことないでしょう、手厚くサポートしてたでしょ(笑)。この頃はECもまだ黎明期でしたね。Amazonや楽天が一気に伸び始めていた時期でしたが、2014年には「PFU Directを装った不審サイト」が出るくらいになり、PFUダイレクトとHHKBの認知も高まりつつあるのだなと思いました。
森口:売上の構成は、Amazonが6割くらいでしたね。楽天が2割、Yahoo!が1割、直営が1割くらい。
山口:Amazonが書籍以外も扱い始めて、一気に伸びた時期でしたよね。その成長がそのまま我々にも来ていた感じです。
20周年イベントで見えた“ファンベース”の手応え
松本:これまでの取り組みのマイルストーンが、2016年の「20周年イベント」だったと感じています。
山口:イベント自体は30人くらいの小規模で、秋葉原のパセラで開催しました。メディアと、社内でも「HHKBの哲学」を本当に分かっている人だけを集めた、かなり濃い場でしたね。
横山:20周年のロゴもデザイナーにお願いして、トートバッグやキーボードルーフも制作しました。
松本:和田先生にも来ていただいて、HHKB型のケーキも用意して。長谷川社長(当時のPFU社長)も来てくれました。ただ、新海さん(HHKB立ち上げ時のPFU担当役員)を呼び忘れていた(笑)。
山口:(笑)
松本:この頃で、ファンマーケティングの基礎は一通りできたと感じています。
HHKB20周年イベントの様子は、こちらの「ASCII」の記事をご覧ください。
→https://ascii.jp/elem/000/001/273/1273373/
なぜHHKBはイベントを打つ必要があったのか。どのようにしてメディアや著名人、ブロガーとのつながりを作ってきたのか。そうしたことがここまで表に出るのは、今回が初めてではないでしょうか。ネット・コミュニケーションを本当のつながりに変えるための泥臭い施策の数々、触らないと良さが分かりにくい製品を、どうやって直販のみで必要な人々に届けるか、そういったノウハウが詰まった前編は、ここで終了します。
続きは後編、HHKB無線化への道と海外進出、そしてグッドデザイン・ロングライフデザイン賞受賞までのお話です。
\HHKB裏HISTORY 第一章 前編はこちら/
執筆者
納富廉邦
ひたすらHHKBで様々なジャンルの原稿を量産し、この1年半で7冊の本を上梓。
買った本は、その日のうちにScanSnapでデジタル化。既にPDF蔵書は9000冊を超える。本の中身が全文検索できることで、仕事の資料探しがとにかく楽。デジタルからアナログ、ガジェットから調理器具、寝具や衣類、バッグに財布など、あらゆるモノ系と伝統芸能、音楽、アート、映画、本などの評論を中心に取材、執筆しています。あ、ギター弾いています。









