HHKB HISTORY ~HHKBの軌跡~
極小ロットでの発売と「馬の鞍」伝説
1996年冬、和田英一氏とPFUの共同開発による「HHKB」のファーストモデル『KB01』(PC/AT互換機、Sun対応。Apple Macintoshは翌年発売の『KB02』から対応)が発売されました。初回ロットは実にわずか500台。いわゆる商業ベースからは遠くかけ離れた数量でしたが、「プロフェッショナルのためのキーボード」が求められていることを確信していた和田氏とPFUに迷いはありませんでした。そしてファーストモデルを手にした和田氏は、次の言葉を技術者たちに贈りました。
「アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切な、生涯使えるインタフェースであることを忘れてはいけない」
当面は激しく変化し続けるはずのパソコンとその関連機器の中で、キーボードだけはインターフェースとして「ユーザーに長く寄り添うもの」であり得る、という力強い宣言です。この「馬の鞍」伝説は「HHKB」の存在意義を的確に語る言葉として、今でもしばしば引用されています。さらには製品名にある「Happy Hacking」もまた、タイピングに熟達すればするほどプログラミング等を快適に楽しく行うことができ、ひいてはパソコン自体を十全に活用できるということを端的に表すものでした。ハッキングやハッカーという言葉の正しい意味がまだ一般に広まっていないなか、プロフェッショナルをターゲットとする製品であることを高らかに謳ったネーミングでした。
ユーザーの流儀に応じてキーレイアウトを一部変更できるカスタマイズ用設定スイッチを背面に備えていた。
また1997年11月発売のモデル『KB02』からMacにも対応するようになった。
ユーザーは想像以上に多かった
発売後、思わぬことが起こります。ごく限られたプロフェッショナルのためのキーボードであるはずの「HHKB」のファーストモデルが、あっという間に完売してしまったのです。口コミや、ちょうど一般の会社や家庭でも活用されるようになったインターネットを介して、「HHKB」の噂が波紋のように大きく、急速に広がったからでした。潜在的なユーザーの存在を確信していたとはいえ、まさかこれほど早く在庫が底を突くとは。急な増産に現場はうれしい悲鳴を上げることになりました。プロのためのキーボードを求めるユーザーは想像した以上に多く、キーボードへの思いも強かったということです。こうして「HHKB」は上々のスタートを切りました。
今振り返れば、このことは「HHKB」が秘める可能性を示唆するものでもありました。すなわち、研究者やプログラマーといったコンピューターのプロフェッショナルのために誕生した製品が、より幅広く、タイピングに意識的な他分野のユーザーのニーズにも応え得る可能性です。たとえば、いわゆる文字入力によって原稿や企画書を作成する人にとって、効率的で快適なタイピングの重要性は、プログラマーにとってのそれと同様に高いことでしょう。浮かんだアイデアを即時に書きとめる際の道具はノンストレスで素早く使えることが不可欠ですが、「HHKB」ならば、これまで優れた筆記具が果たしてきたその役割を担うことができるかもしれません。また、そもそも「パソコンを換えるとキーボードの配列も変わる」という問題に悩んでいる人は、プロやヘビーユーザーだけとは限らないのです。「カウボーイの馬の鞍」を意識せずとも求めているすべての人たちにとって、「HHKB」は福音になり得るかもしれません。
この可能性は「HHKB」の発売から数年のうちにはっきりとした形になります。「HHKB」の販売実績はコンスタントに伸び、発売6年後の2002年11月には世界10万台出荷を達成。ユーザーがコンピューターのプロだけではないことはもはや明らかでした。そして2003年、「HHKB」はタイピングの質を追求する道具として、そのアイデンティティをより明確に打ち出すことになります。